満たされない。
こちらに来てから、弥子と出会ってからというもの、どこか満たされない。脳
髄もそうだが、どこか別の、どこかが、満たされないのだ。その「どこか」がど
こであるか、我輩は既に看破している。ただ問題は、崇高なる魔界の住人である
我輩が、その事実を認めたくないというその一点。……我輩は、わかっているの
だ。
満たされないのは、恐らく、心というもの。理解はしているが、実に曖昧だ。
臓腑とは違う。思考を行う脳髄とも違う。人間はそれが胸部にあるというが、そ
んなものはそこにないことはみな知っている。だが、心は確かにある。
この心というものが実に厄介であって、我輩は満たされないでいる。我輩は人
間ではないのだから、心などもとから無いはずである。だが、現に我輩は今満た
されないでいる。満たされないとはいえ、我輩はただ謎だけを欲してきた。そし
てその謎は人間の心がつくりだす。ああ、実に厄介だ。心は謎に似ているとも思
う。何より複雑であるから。我輩も謎は喰えても心は喰えない。
だが。
……思考の反芻を止める。
あの女は、桂木弥子。奴には心を喰う力があるのかも知れない。どうも無自覚
なようだが、人を惹きつける何かがあって、そして人の心を掴んで放さない。ア
ヤが人の脳を揺さぶるというのなら、弥子は。
人の心を、揺さぶっているのか。
そして再び、思慮の世界へ堕ち込む。
そうか。我輩には心が無い。だがあの日、我輩が弥子を選んだのではなく、単
に我輩が、弥子に惹きつけられたのだとしたら。他の人間共と同じく?……馬鹿
馬鹿しい。そう思い思考は振り出しに戻るのだが、必ず同じ局所に辿り着く。多
くの謎を喰ってきた我輩のことは我輩がよく知っている。つまり答えは出ている
のだ。是非も無く、それが真実であると。
我輩に心があったからあいつに惹きつけられたのか。
あいつに惹きつけられて我輩が心を持ったのか。
どちらかはまだわからないがどちらにしても同じこと。我輩は弥子に惹きつけ
られたのだ。そう、その考えに漂着したからには我輩が満たされるための結論も
察しが付く。
差し当たっては、まさかあの笹塚という男や、妙に弥子が仲良さ気に接する吾
代だって、X、その他の人間どもに弥子を渡さない。我輩の為だけに弥子はいる
のだ。