元就が安芸に戻って一週間が経つ。あいつが四国に居た期間は長くは無いが短くも無い。日課となった手当てをする必要も無く日輪より早く起き出す必要も無くなった。必要は無いが習慣はなかなか無くならない。手持ち無沙汰な朝には日輪を眺めながら元就のことを考える日が続いていた。
そもそも何を思って元就を正してやろうなどと考えたんだっけか。ずっと気になっていた捨て駒扱いの旨。それでも切欠は矢張りあの笑い声だ。今でも頭に残る、哀れで可憐な細い声。正してやらねばという意識は保護本能に似ていた。
「毛利殿より使いがいらしましたぜ、アニキ。」
日輪を見上げる背後から声がかかる。おう、と膝を叩き立ち上がると其処に居たのは毛利の使いもとい毛利元就その人だった。
「上がらせてもらっておる。」
軽く会釈をするその姿はつい先日見送ったばかりで待ちわびたその男だった。かっちりと戦の装束を着込んでいる姿は凛々しく此処にいた頃よりもまた違って見えた。あの兜を小脇に抱えて此方を見ている。
「おう、よく来たな。」
頭を撫でてやろうと手を上げるとフイと涼しげに避けられた。相変わらずのようだ。笑みが漏れるのを隠さずに空に浮いた手で頭を掻く。毛利も口元だけで小さく笑った。
「今日は貴様に文を持って来てやったのだ。読むがよい。」
大袈裟な篭手の先から神経質に折りたたまれた紙を受け取る。元就の目を見て文に目を落とすと流麗な字で短い言伝が在った。内容に思わず笑みを溢す。
「先に言えば迎えに行ってやったのによ。」
「今伝えたのだ。そして、今来た。」
切れ目を流したような端正な表情を柔らかく寛がせて元就が言った。こんな表情をするとは思わなかったが、いざ見るその顔はどこか可愛らしい。まじまじと見つめ続けていると怒ったように尖らせる唇も可愛らしくて寄せる眉根は愛しい。
「ようこそ、四国へ。」
迎え入れるように腕を広げてみせると元就が小さな身体を寄せてきた。抱きしめてもいいものかと少し戸惑ったが柔らかく背に腕を回してみた。元就の場合、親密そうにしていても馴れ馴れしくすると怒るから距離を弁えていないといけないらしい。自然慎重になる自分自身に苦笑しながら背中をさすると見上げてくる元就と目があった。
「しかし此間帰ったばかりじゃねえか。何でまた急に。」
尋ねると元就は端正な表情を崩さずに頬を摺り寄せてきた。幾分小さい体が身を捩るのは悪い感触ではない。
「何のことはない。ただ会いに来たまで……迷惑、だったか?」
覗き込んで首を傾げる仕草は愛らしくて兵を捨て駒と扱う姿とはあまりにも遠く感じられた。哀しげな瞳には柔らかな微笑みで返す。
「いいや、歓迎する。」
元就は昼過ぎにやってきて夕食を食べてゆっくり過ごした。療養で過ごしたときよりもよく笑いその表情もずっと穏やかだ。今日は少しの酒を飲んで機嫌も良いようだし、思ってきたことを言ってみていいだろうかと元就の正面に腰掛けなおす。
「元就。」
「……長曾我部、礼を言う。」
酒に酔った頬を仄かに紅潮させて元就が言う。伏目になると長い睫毛でその目から表情を伺うことは出来なくなる。その真意を覗き込みたくて頬に手を添えて上を向かせると僅かに目が潤んでいるのがわかった。頬に添えた手を顎にかけて静かに口付ける。舌で唇を割らせ歯列をなぞると元就の舌が控えめに絡んできた。
「ん……。」
元就の鼻にかかった声は頭の天辺から聞こえてくる。その細い腕を突っ撥ねて拒絶されたら迷い無く離してやるつもりだったがその腕は今俺の首に回っている。酔ったときを狙ったのは我ながら卑怯だったかも知れないがこの愛らしさに気付いてしまえば止まらなかった。薄目を開けるとさっきよりも上気した頬と明らかに濡れた瞳が揺れている。苦しいのかと一度口を離すと元就が息を継ぐのが聞こえた。ハ、と小さく浅く聞こえる吐息すら愛しく感じられてただその様子を見ていると落ち着いたらしい元就が今度は自分から口を寄せてきた。より大胆な舌のまぐわいになって辺りにくちゅとどこか淫猥な音が落ちる。銀の糸を引いて口を離すと切れて膝の上に落ちたが気にはならなかった。
「あー……、吃驚、したか?」
拒絶はされなかったが断りも無く口付けたことを思い出して尋ねると元就は黙って首を振った。甘い甘い口付けを頂けたのだから怒られてもいいか、と調子付いて更に言った。
「俺はよぅ、お前とこういうことがしてえ……もっと、えぇと、先のことも。」
殴られてもいいように口を噤んで元就を見るとそっぽを向いてしまった。言ってしまった後に居づらい沈黙が流れる。それでもずっと元就から目を離さずにいるとちらと此方を伺うように元就が目を合わせる。すぐにまた向こうを向いたがそれから間を置かず向き直る。そんな仕草の一つ一つまで可愛らしい。狐色の柔らかい髪が揺れる。
「厭、だ。」
静かに言い放つ言葉は必要以上に俺の中で響いた。
「だが、これなら……良い。我と貴様、長曾我部、元親。これだけなら。」
元就は俺の肩に手を置くと再び顔を寄せてきた。衝撃に供えて固く噤んだ俺の唇を柔らかくて小さな舌で溶かすように解いていく。最高に気持ち良い接吻。
元就はそれから度々四国を訪れるようになった。どんな宝よりも素敵な土産とともに。