「おぅ、漸くお目覚めか。」
頭上から頭痛に響く小粋な声が聞こえた。いつも仰ぎ見るのとは違う天井の木目。此処が慣れた我が居城でないことに気付き億劫にも身を起こす。
「貴様は、長曾我部……我は捕虜か。」
辺りを見回すと少し手狭ながらも不自由のない部屋。自分の体にも痛みはあれど拘束感は無い。捕虜の扱いにしては過ぎた待遇か。
「あ? 捕虜だ? 馬鹿言うな、お前は俺の客だ。」
枕元にちょんと佇む男。長曾我部は腰を下ろさず器用にしゃがんで我の方をしきりに覗き込んでいる。
「愚劣な、我は負けたのだ。何故殺さず捕らえず、客などとこのような。」
そうして両手を掲げて気付いた。今我が身につけているのは純白の死装束だった。
「気に入らねぇか? 毛利元就は厳島で死んだんだ。」
飄々と宣う男の口元には笑み。瞬間怒りが込み上げ、演技や抑止の必要もなく浅はかにも爆発させた。
「我を愚弄する気か。小細工を練ろうと我も武士よ。負けなば死なん。」
そう言って口をつぐむ。不覚をしたときの作法、舌を奥歯に挟む。
「おい!」
咄嗟に自害に気付いた長曾我部が我が腕を掴み、引き寄せる。ざり、口内に鉄の味が滲む。構わず顎に力を入れると息が詰まった。継ごうとした僅かな隙に長曾我部の顔面が近付いてくる。悲愴な顔。
「……ん、っ。」
酸欠の頭脳で何をされているのか一瞬認識が遅れる。鉄の味を薄めて口内に入ってきたのは我を討ち破った男の唾液。わざとらしく舌を絡めての口膣のまぐわい、接吻。腕に力を入れ跳ね退けようとしても敵わない。ただその胸板から体格の違いを思い知らされるばかりだった。口内で舌を退けるのが精一杯の反骨。
「ん、は。」
長曾我部の意思によって漸く口付けは止む。浅く呼吸をしながら溢れ出でたどちらのともつかない唾液を拭う。
「お前は死んで生まれ変わったんだ、お前は、変わるんだ。」
長曾我部が言う。
「何を言う!」
「泣いてたろ。」
「黙れ!!」
賢しい物言いに我慢ならなくなって振り上げた手は勢い長曾我部の顔に当たった。当たるまま長曾我部が頭を垂れる。
「じゃなきゃあんな哀しく笑う筈が無ぇ。」
項垂れた頭はそのままに長曾我部が続ける。胸部が締め付けられるのと共に今まで散々自我を殺して来た感情が止まらなくなるのが堪らなく苦しい。
「貴様に、何がわかると……。」
「少なからずわかったことがあったからこそ俺はお前を連れて来た。」
飄々と笑ったと思えば悲壮にも怒気にも似た口調で熱弁を奮い、今はとても真剣な表情。長曾我部は我が心を乱すようにころころと態度を変えた。骨ばった手を口元に当てて思案する顔も我を心から心配して見せる。例えば我もそうして表情をも使い演技をしてきたからわかったことだがこの男も案外策略家なのかも知れない。思案に暮れながら長曾我部を見つめたままでいると不意に目が合った。
「何だ?」
また、口元には笑み。空気のように掴めない実態。
「それでは拐わかしの理由にはならんぞ。」
「あんた顔が変わったな。」
話をはぐらかすような長曾我部の態度に苛つき再度手を振り上げる、が、二度目はなかった。拳は受け止められて長曾我部の手に包み込まれる。
「貴様が我の何を知っているというのだ。」
同義の言葉を繰り返すが長曾我部がまともな答えを返すわけでもなく無駄に思われはじめた。そう思っていたら長曾我部が掴んだ手を引き寄せて我の身体もよろめく。長曾我部に抱きとめられて抱かれているような格好になった。
「一度目はあんたは美しいと思った。二度目は、あんたは冷たい顔をしていた。今のあんたはどれとも違う。憑き物でも堕ちたか?」
我に覆い被さり長曾我部が宥めるように言った。納得いかない。
「一度目、二度目と……何のこと……。」
「あんたが最後笑ったとき。」
唐突に長曾我部が言葉を遮る。我と目を合わせずに。
「ほら、なんつったっけ。"所詮は"……"駒の一つ"? そんで笑ったろ。」
空虚な身振りと手振りを付けて長曾我部が続ける。我は何も言わない。
「あの笑ったときの声聞いてさ、思ったんだ。おめえさんはまだ……。ん、いやこれ以上は止めとこう、俺の柄じゃねえな。まあそういうわけであんたの身柄はこの俺が暫く預かるぜ。なに、毛利の者には上手いこと言っといたからよ。」
頭痛が酷い。長曾我部が喋くる言葉も一枚壁を隔てて聞こえるようだ。視界の真中上方から赤が広がる。赤で染まる視界に覆い被さる長曾我部の顔も口元しか見えない。その口が動くのだけが見える。音は、聞こえない。
「おい、おい、お前!?」
途切れかけた意識を繋ぎとめたのは長曾我部の腕だった。不躾にも我を抱くように背に回されている。ただそれを疎ましく思おうにも制止の言葉を発する気力は無く我も頭を垂れる。瞬きをして目を開けなおすと赤は消えていた。音も聞こえる。長曾我部を見遣ると少し目が潤んで見えた。その目に泣きそうな我の顔が揺れている。
「傷が治るまででいい、ここに居ろ。その間に俺があんたを変えてやる!」
ぎゅうとそのまま抱きしめられた。抗わないのを傷の所為にして目を閉じると押し出された涙がパタと胸元に落ちた。涙などまだ我に残っていたとは……驚きに目を開くと覗き込む長曾我部の顔は慈しむような笑みだった。知ったかぶりな笑顔は癪に障ったが矢張り何も言わないでおいた。腕の中はほんの少しだけ心地よかったから。